絡み合い、決して離れることない二匹の蛇が行きつく先は? 加藤元『蛇の道行』

尾中の蛇はあざなえる縄のごとく、交互に絡み合いながらそこら中を這いずり回る。『蛇の道行』は、そんな蛇のイメージをモチーフに、正体不明の未亡人・青柳きわと戦争孤児となった立平との道中を描いた作品です。

青柳きわという名前があるのに「正体不明」と記したのは、この女が本当にきわ本人であるのかがわからないまま話が進められていくから。

その影には、秋田トモ代というもうひとりの女の存在があります。

 

 

誰の言葉も疑わない扱いやすい少女であったきわ。一方のトモ代は、少女時代からずる賢くて嘘つきでした。対照的な性質を持つ二人ですが、女たちが住み込みで弟子入りしていた美容師の先生・浅利サダ曰く「二人はどことなく顔つきが似ている」と。

いくら顔つきが似ているとはいえ、これだけ雰囲気が違えば見分けがつきそうなものですが、実はそこにおもしろいカラクリが仕込まれています。

 

 

まず、敗戦後のきわは、それ以前の彼女とは別人に見えます。

戦争未亡人だけを集めたバーや連れ込み宿といういかがわしい商売に精を出し、冒頭の方ではある男をあっさり殺してしまうのです。

その上、事情があって探りを入れてくる男たちをいなす感じも手慣れており、娘時代の彼女とはどうしてもつながりません。

「なんだ、別の人間がなりすましているのか」

すぐにそう考えたのですが、もちろんそう単純に話は進みません。

 

作中では、第二次世界大戦終了間近から敗戦後にかけてきわがたどってきた人生が丁寧に描かれています。それを読んでいると「こんなひどい仕打ちを受けて、その上この先女一人で生きていかなければならないとしたら、変わってしまっても不思議はない」という気にさせられるのです。

 

そして、彼女が放つ「罪を憎んで、汚れないままで生きていける人間は、それだけで運がいい」という印象的な言葉も、それに拍車をかけます。

だけど、秋田トモ代の人間性が明らかになっていくうちに、今のきわは彼女ほどひどくないような気もしてくるです。

 

考えられる可能性はふたつ。

ひとつは、青柳きわは本人だが、戦後の混乱に揉まれる中で別人のように変わり果ててしまったというもの。

そしてもうひとつは、秋田トモ代が青柳きわになりすましているというもの。

どちらにせよ、穏やかではありません。 

なぜなら、ある地点を境に、片方の女は完全に消息がわからなくなっているからです。

入れ替わりが起こったとしたら、そのときに違いないのですが……

 

果たして、青柳きわの正体は?

そして、消えたもうひとりの女はどうなったのか?

 

幾重にも重なる伏線に右へ左へと翻弄されて、ようやく真実に辿りつくかというころで、さらなる衝撃の事実が発覚して……。

 

最後のページまで夢中で読ませてくれる展開でした。

また、ストーリーだけでなく、触れるか触れないかぎりぎりのところで描かれた、きわと立平との間を流れる複雑な情感にも惹きつけられました。「人生を奪われた者同士」である二人の間に存在する、恋や愛などといった単純な言葉では決して言い表せない深く粘っこい絆にも注目です。