人を殺すことが心の拠り所となってしまった女が後半で見せる弱さ、健気さ、深い愛――沼田まほかる『ユリゴコロ』
結婚を考えていた恋人・千絵が突然失踪し、父親は末期の癌に倒れ、その矢先に母は交通事故であっけなく他界。立て続けに大切な人を失った「僕」が、父親の部屋から母のものと思しき遺髪と四冊のノートを発見するところから物語は始まる。
ノートの中身はある殺人に関する告白。それも、一人ではなく、短期間の内に次々と殺している。
ここに書かれてあることは本当なのか?
もしそうだとしたら、書き手は誰なのか?
さらに、過去の「母親入れ替わり事件」の謎も加わって、物語は思いもよらぬ方向へと導かれていく……。
人を殺すことは悪とされているけれど、世の中には善悪の二元論では割り切れない殺人が存在する。
たとえば、わたしが過去に読んだ小説だと、『白夜行』(東野圭吾著)や『私の男』(桜庭一樹著)などが挙げられる。どちらの作品も、「自分にとって大切な何かを失わないため」の殺人であり、人を殺すのはイケナイことだとわかってはいても、主人公たちを養護したくなる何かが存在した。
この『ユリゴコロ』も悲しき殺人者の物語という点では同じなのだが、殺しの動機は「精神的安定を図るため」という快楽殺人に近いもの。だから手記を読み進めていく間も、書き手の奇妙な精神状態や生き方に興味は惹かれるものの、共感できる部分などは少なく、むしろ恐怖心を煽られた。
この物語はいったいどこへ着地するのだろう、とドキドキする一方で、殺人者に対する印象がこのまま終わってしまうのではないかと不安だった。それではあまりにも後味が悪すぎるから。
しかし、いよいよある者の口から真実が語られ始めると、事態は一転、予想もしなかった深い愛が見えてくる……。
人を殺すという重いテーマに真正面からぶつかった作品。こんなにも残酷で身勝手で一筋の光さえ見えない気がするのに、そんな中にでも救いの部分が描かれていることが奇跡のように感じられた。